タイトル

貞亨4年(1685年)、5代将軍綱吉は 「生類憐みの令」 を発布しました。それに関連して元禄5年(1692年)には浅草近辺十六丁四方の漁業が禁止されました。
江戸の漁師達は収入の道を断たれる前に故郷を捨て、漁師の住んでいない土地に移住して行きました。
ある人達は千葉方面に、またある人達は横浜方面に移住しましたが、浅草の漁師達は大森を選択しました。
大森は未開の地でしたが、船を係留できる川があったので、この地を新しい故郷と定めて一族郎党を引き連れて町作りを始めました。

秋に河口域に杭を打つと海苔が生えてくる事は古くから知られていましたが、大森は浅草より良く海苔が付きました。
それまで海苔は手で拡げて乾燥させていましたが、野口六郎左衛門は浅草の地場産業だった紙漉きの技術を導入しました。
細かく刻んでからシート状に仕上げられた海苔は、それまでにない製品に仕上がりました。
これを知り合いの (浅草の) 商人に販売を依頼した事で 「浅草海苔」 の名前が付きました。

彼らは菩提寺を大森にあった寺に移しましたが、浅草神社 (三社) の氏子である事はやめませんでした。
浅草神社 (三社) にその記録が残されていました。
参考文献
”海苔の歴史” 宮下章著、全国海苔問屋協同組合連合会発行
”大田区史” 大田区発行
”大田区海苔物語” 大田区立郷土博物館発行

工事中です。